名門半澤家の伝統・習慣を踏襲している伊達市の半澤直轄理事

元月舘町長を出したり、月電工業を創業した事で有名な月舘の半澤家ですが、その伝統が今も伊達市役所で序列No.2である半澤隆宏直轄理事に受け継がれていることが青年会議所OBから聞こえて参りました。
半澤家を有名ならしめたのは20数年に渡り月舘町長を務める政治家を世に出したことですが、実際その政治家は、本宅に帰宅せずに林業会館に勤務していた「妾」を矢剣町の別宅に囲い、毎日そこから月舘町まで通勤していた事の方が逆に有名になってしまいました。当時の亀岡高夫代議士から「妾」との関係を清算しろと指摘を受けるや、遠藤五六助役宛てに「町長職辞職願」を提出して矢剣町のご婦人と「恋の逃避行」に出かけたという、元祖失楽園親父だったそうです。その女癖の悪い半澤家の血筋を継承している半澤理事ですから、女癖の悪い鴫原貞男副市長と意気投合するのは当たりまえで、鴫原氏の職場内「妾」である遠藤由子氏を能力が無いにもかからわず人事課長・会計管理者に登用する人事に率先して賛同し、本人も市民部次長・政策監・直轄理事に昇格して鴫原貞男副市長に次ぐ序列NO2の地位を獲得したと庁内職員からも揶揄されているそうです。
しかし、鴫原貞男副市長も妾の遠藤由子邸から「公用車」で堂々と通勤するようでないと、名門半澤家を超えて旦那衆としての歴史の1ページに名を残すことはできないのでしょうね。
(投稿ネーム:半澤家歴史検討委員会)
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半澤家の歴史とは面白いところに目をつけたものですね。伊達市役所で半澤と鴫原といえば市長を取り巻く二枚看板みたいな位置づけですが、実際のところこの2人はそんなに仲が良い訳ではないという噂もちらほら耳にします。月舘町長を務めた名門半澤家から見れば、仁志田も鴫原も能力が伴っていないのにコネだけで今日の地位に就いているだけ、という解釈になるらしいですね。元町長が堂々と公用車で愛妾宅から通勤出来たのはやはり半澤流ならでは、といったところでしょう。必死に人の目をかすめながら不倫をする鴫原氏の方は、元々コソ泥みたいな習性なので、同じ行動をとるのは無理だろう、と言われています。
<「投稿サイト」編集部>