義尚県議陣営、「須田は失敗だった」発言の意とは?

年明け早々、4日の御用始めに合わせて政界関係者もムクムクと動き出したようです。
まず、聞こえてきたのは伊達市長選の須田陣営の中の話でした。
11月28日に山房月之瀬で亀岡義尚県議の役員会が開かれたことはご存知だと思いますが、それから1ヶ月ちょっと経った1月3日にこともあろうに、亀岡後援会の大幹部達が会食していて、そこで語られていたことは「伊達市長選に須田氏を担いだことは失敗だった」という内容の話だったことが伝えられてきました。
その場に義尚県議は同席していませんでしたが、月之瀬の宴会時に義尚後援会が須田氏擁立を決める際に音頭をとったのは元桑折町長の林王喜久男さんでした。この林王さん、実は義尚県議の後援会長でもある訳ですが、その方が「伊達市長選への須田擁立は失敗だった」と発言したというのです。これが事実なら、大問題ですよね。
何故、こんな会話が飛び出したかは、須田氏は演説ぶった話が大の苦手で、農政以外の市政全般の話題が出来ないのだそうです。これには担いだ大幹部達が頭を痛めていると言われています。
それにタクティクスのWebサイトで月之瀬での出来事が問題あるように書かれたり、月刊タクティクスでは後援会事務所のプレハブが贈収賄に当たるなどと報じられたので、支援者の足が止まり、広がりが少なくなってしまっていることなどがあるようです。
また、梁川町のガンのように見られていた池田敏博氏らが須田選対を仕切っているように思われていることも大きなマイナス要因だと言われ始まっています。
これではいくら陰の大物と言われる黒沢天皇が支援しようとしても悪のイメージが付きまとうだけで、選挙という公のイメージは決して良いものにはなりません。きっと、それらのことが加味されての発言だったに違いありません。岡目八目でこの話を考えれば、須田陣営は実戦突入前から方向性が良くないことが分かりますよね。
(投稿ネーム:早いのが取り柄、平成のラスト瓦版屋)
—————————————–
この投稿が事実だとすれば、須田陣営は始める前から終わっている、と言われても仕方ありませんね。確かに須田陣営には早くから悪い噂が付きまといましたから、支援者達が逃げ出していることは多少、理解出来ますね。本番までにどのように立て直すのかが興味あるところですね。
<「投稿サイト」編集部>