なにくわぬ顔でしれっと逃げるJOC竹田会長、轢き逃げした時と同じか。

先日JOC竹田会長のことがこのサイトに投稿されていましたが、もっともっと追求すべきだと思い、私も投稿することにしました。
竹田恒和会長は19日、今年6月末の任期満了をもって退任することを表明したようです。これは勿論、2020年の東京五輪・パラリンピック招致をめぐる汚職疑惑を受けた行動ですよね。
五輪招致委の理事長だった竹田会長は、東京での五輪開催の実現を確約するために200万ユーロ(約2億5000万円)を支払った容疑で仏検察当局から捜査を受けています。
竹田会長は会見の席上で「不正なことはしていない」と相変わらずすっとぼけながら、会長職と国際オリンピック委員会(IOC)委員を辞任することを発表していました。
その時に、「これを機にオリンピックを通じて、若いリーダーに託して新しい時代を切り開いてもらうことが1番ふさわしいと思った。お騒がせしたことは大変心苦しく思っている」などと、通常の退任のメッセージのような、綺麗ごとをしゃあしゃあと述べていました。これを見て、本当にふざけたジジイだなあ、と呆れてテレビを見ていたのを思い出します。
どうやら、この竹田氏は、ずっと過去にも彼の不誠実や厚顔さを感じさせるような事件を起こしていたことが分かりました。
40年ちょっと前、竹田氏は若い女性を轢き殺す交通事故を起こし、読売新聞に掲載されたことがあるのです。当時、竹田氏は馬術の選手で、国体の試合に出るため会場に車で向かう途中のことだったと言います。この事故について、1974年10月23日付の読売新聞夕刊が〈五輪馬術代表の竹田選手 女性はね死なす〉という見出しで記事にしていました。この記事によれば、東京都の馬術選手である竹田氏の乗用車が、二十二日夕、会場近くの茨城県稲敷郡新利根村で歩行者をはね、死亡させたため、東京都は、全馬術競技の出場を辞退する程の大事となったようです。
こんな重大事故を引き起こした人物が、今、日本の五輪組織のトップに君臨しているというのも驚きですが、問題だと思うのはこの事故の後の竹田氏の身の処し方です。新聞報道によれば、明らかに竹田氏側の過失だと思われるが、竹田氏は重い刑事責任を問われることもなく、ほどなく馬術競技に復帰。事故から2年も経っていない1976年に開かれたモントリオールオリンピックに出場しています。
結局、竹田恆和という人物は、どんな不祥事を起こしても周りがカバーしてくれて、出世の段取りをしてくれる環境の中で、本人も無自覚にそれに乗っかりながら生きてきたということでしょう。
こんな糞野郎だから、今回のような贈収賄に問われる重大事態が起きても、まったく当事者意識がないまま、あんなとぼけた退任会見が出来るのだろうと思います。
こいつをなんとか成敗してもらえないものでしょうか。
(投稿ネーム:コネだけ親父)
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おそらく、コネだけ親父さんの願いは叶うことでしょう。仏検察当局は既にきっちりと裏をとっているからこそ訴追手続きをしたのだと言われています。2016年春に日本の招致委員会が国際オリンピック委員会(IOC)委員だったラミン・ディアク国際陸上競技連盟(IAAF)前会長の息子に2800万シンガポールドル(約2億2000万円)を支払った事については、数々の証拠を揃えていることでしょう。竹田氏が縄を打たれる日が近づいていますね。
<「投稿サイト」編集部>